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名古屋高等裁判所 昭和47年(ネ)593号 判決

控訴人(付帯被控訴人。以下「控訴人」という。)

則武秋子

外二名

右三名訴訟代理人

祖父江英之

被控訴人(付帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

株式会社西尾商店

右代表者

西尾庄太郎

荒木美津雄

右両名訴訟代理人

富島照男

外二名

主文

原判決中、控訴人則武秋子に関する部分を次のとおり変更する。

被控訴人らは、各自、控訴人則武秋子に対し、一一五八万八五四九円および内金一一〇八万八五四九円に対する昭和四五年九月六日から、内金五〇万円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人則武秋子のその余の請求を棄却する。

被控訴人らの付帯控訴に基づいて、原判決中、控訴人則武秀男、同則武ひとみに関する部分を、いずれも取り消す。

控訴人則武秀男、同則武ひとみの請求をいずれも棄却する。

控訴人則武秀男、同則武ひとみの各控訴および被控訴人らの控訴人則武秋子に対する各付帯控訴をいずれも棄却する。

訴訟の総費用は、第一、二審を通じこれを三分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人らの各負担とする。

この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人らは、各自、控訴人則武秋子に対し、二一四七万七二二八円、同則武秀男、同則武ひとみに対し、各六〇万円およびこれに対する昭和四五年九月六日から支払ずみに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人らの付帯控訴について、付帯控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人ら訴訟代理人は、「本件控訴をいずれも棄却する。」との判決を求め、付帯控訴として、「原判決を取り消す。控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同じである(ただし、原判決三枚目表八行目に「第一三号証」とある次に「第一四号証の一、二」と挿入し、別紙(一)二枚目裏初行に「第四二年」とあるのを「昭和四二年」と、同三枚目表四行目に「系数」とあるのを「係数」とそれぞれ訂正する。)から、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一、被控訴人らは本件損害賠償についていわゆる定期金賠償金方式によるべきものというが、右主張は失当である。

人の生命は、何人にも予断不能であり、余命が何年であるかは、特殊な病気、傷害のある場合を除いて、これを認定するための証拠ないし経験法則が存在しないのが通常である。

従つて、交通事故の被害者の余命年数の認定に際しては、健康人から病人にいたるまでの全人口を対象として作成された統計表を利用し、この統計表から認められる余命年数の期間被害者が生存することについては事実上の推定ありとされるのである。現在までの無数の裁判例は、右のような統計に基づき、いわゆる元本賠償方式により損害賠償額を認定してきているのであつて、右方式は確たる根拠を有しているものである。

しかるに、いわゆる定期金賠償方式には、実定法上何らの根拠規定が見当らないのみならず、次のような欠点があることが考えられる。

1  現在のごときインフレーションの下においては定期金賠償は債権者にとつて極めて苛酷なものとなる。この点については、インフレーションの進行に対応して、変更判決をもつて定期金給付額の増額を命じうるとの見解もあるが、右は論者独自の見解であつて実定法ないし判例に基づくものではない。

2  次に、履行確保の点について、定期金賠償方式によるときは、支払期間中の賠償義務者の倒産、法人の解散、逃亡等支払不能の危険を被害者に負担させることとなる。ドイツ法においては、定期金支払につき被害者が担保の供与を請求できるものとし、定期金の支払を命ずる判決の後に賠償義務者の財産状態が悪化したときは、新たな担保の供与または増担保を求めうるものとしている。フランスにおいても、裁判所が定期金の支払を命ずる判決をなすに際し、担保の供与を命じ、未成年の債権者名義で国債を購入して保管することを、債務者に命じた裁判例もある。我が国では、かかる処置を許した規定がなく、解釈上、これを認めるのも困難であるから、定期金賠償の方式をとることは適当でない(なお、本件においても被控訴人らは、いずれも不動産を有せず、経営上資産上将来の支払について安心できる状態ではない。)。

3  定期金賠償方式は、定期金の支払を通じ、加害者との接触が永続するため、被害者やその家族は、支払期毎に債務者に請求する不快さを味わわなければならず、一刻も早く、事故を忘れたいという被害者感情(加害者側にもかかる感情が存する場合が多かろう。)から解放されることがない。

4  定期金賠償方式は、任意保険契約を締結している加害者にも、不利益を与える恐れがある。何故なら、元本賠償方式による判決特に和解においては、一時に支払われる金額はほとんど保険金額によつてカバーされるのに反し、定期金賠償方式によれば、賠償義務者はその支払額が保険金額を超える危険を負担しなければならない。このことは、貨幣価値の変動に伴い変更判決をなすことを認める場合において一層しかりである。

5  定期金賠償方式は、交通事故による鞭打ち患者に多い賠償性ノイローゼの回復に悪影響を及ぼすものであり、また、当該交通事故が原因となつてその後余命を短くするような別の事故に遭遇した場合に、被害者にとつて不利益である。

以上のような欠点の存するため定期金賠償方式を是とする学者といえども、被害者の申立ある場合にのみ、該方式によるべしとするのが一般であるが、本件においては、被害者たる控訴人秋子は元本賠償方式による損害賠償を求めているのであるから、当然定期金賠償方式によることは許されないものである。

二、控訴人秋子は、退院後極めて健康で、事故前に比し食欲が衰えることもなく、風邪一つひかず、車椅子で庭を散歩し、毎日家計簿をつける等、可能な家事に従事している。控訴人らの家庭は、現在控訴人秋子中心に形成され、居宅内部も同控訴人が自ら車椅子で移動できるよう畳を撤去し全室板張りに改装し、敷居等による髙低差をなくし、病院と同様のリハビリテーション施設を設置し、風呂、トイレも、同控訴人の使用に便なるよう全面的に改造した。また、庭も車椅子で散歩できるよう通路を舗装し、庭から屋内への通行施設を作り、リハビリテーションは、毎日、朝晩各一時間継続実施されている。右のような状態であるから、控訴人秋子が統計上認められる平均余命年数を生き長らえることができないという徴候は全く存しないものである。

三、過失相殺について

本件事故当時控訴人秋子は、自転車に乗つていたのであり、道路交通法一八条一項但書によれば、自転車は、道路の左側端に寄つて道路を通行しなければならないが、道路の状況その他の事情により、この限りでないものとされているので、同控訴人が前方に駐車している自動車を迂回するため右に進路を転じたことは何ら過失ではない。自転車は、自動車と異なり、バックミラー等後方を確認するための機器を具えておらず、道路左側に駐車中の前記自動車の右側を進行するため進路をかえる場合、後方を確認する義務はないものというべきである。本件において控訴人秋子には過失はない。

四、原判決言渡後の任意弁済について

控訴人らは、原判決言渡後の昭和四七年一二月一五日被控訴人らに対し、少くとも原判決において認容され、かつ、仮執行宣言の付されている債務金額を支払うよう催告したところ、同年一二月二一日任意保険金から三三七万六八二〇円の支払があつたものである。

(被控訴人らの主張)

一、いわゆる定期金賠償方式について

原判決は、逸失利益の算出に当つて、控訴人秋子の傷害が一級九号に相当する極めて重篤な病状であることを重視し、同人の今後の生存可能年数を確信をもつて認定することが著しく困難であるところから、当事者双方の公平をはかるため、一時金賠償方式(控訴人のいわゆる元本賠償方式)に立脚しつつ、その額の算出過程において、一旦、死者に準じて生活費控除を行ない、しかる後に、控訴人秋子の生存中に限つて控除された生活費の支払を命じたというにすぎないのであつて、いわゆる定期金賠償方式を採用したものではない。

すなわち、重篤な後遺症患者の逸失利益の算出に当つて、極めて劣悪な身体条件下におかれた患者が、同じ年齢の健康人と同一期間生存するであろうことを前提として、生活費控除をしないまま、平均余命表から認められる余命年数期間につき逸失利益ありとすることは、常識に反する。けだし、このようにして算出された賠償額は、結果的に、被害者の遺族に対し不当な利益を与える反面、加害者に著しい不利益をもたらすからである。

このような場合に妥当な調整を講じないときは、加害者において、自己防衛のため訴訟の延引をはかり、その間に被害者の不幸を待つという好ましくない事態が出現するおそれもなしとしない。かかる悪弊を未然に防ぐ為には、次の二つの方法しかない。

第一は、一級障害者等重篤患者の逸失利益算出に当つては、生存可能年数を現在の医学上の常識とされている事故後五年ないし七年と一応推定し、この間の生活費は控除せず、それ以降平均余命年数に満つるまでの期間は、死者に準じて生活費を控除して逸失利益を算出し、その一時支払いを命じ、右五年ないし七年の生存推定年数を超えて生存したときは、別訴によつて、その差額を請求せしめる方式である。

第二は、原判決のとつたような元本賠償方式を原則としつつ生存期間内の生活費を別途に支払うという方式である。

しかして、被控訴人らは、後記のとおり、原判決についてはその過失割合の認定の点については容易に承服しがたいものがあるが、本件損害賠償額の算定については、一般に行われている元本賠償方式によるべきではなく、原判決のとつた方式によるべきであると考える。控訴人らの主張する定期金賠償方式に対する非難は原判決の採用した方式の要点が逸失利益のほとんど全部を一時金として、被控訴人らに支払いを命じているものである以上、もはや考慮する余地がない。

二、過失相殺について

被控訴人荒木は、本件道路(片側幅員4.8メートル)の市電軌道敷寄りを、時速四〇キロメートルで南進中、衝突地点の手前一七、八メートルに差しかかつた際、自車左斜前方12.9メートルに、自転車に乗つた控訴人秋子を発見し、一回クラクションを鳴らし、警告した。ところが、約11.1メートル走行し、衝突地点の手前約6.4メートルの地点に至つたとき、自車左前方約5.4メートルにハンドルを右に切り自己の進路上に出ようとしている同控訴人を発見し、衝突の危険を感じ、進路を右に転じ急ブレーキをかけたが間に合わず、本件事故発生に至つたものである。以上の事故状況により、被控訴人荒木と控訴人秋子が衝突するまでの時間的・距離的相関関係を判断すれば、危険の予知からクラクションの吹鳴、危険の認知を経て事故発生にいたるまで瞬時の間のことであり、被控訴人荒木にとつて回避可能であつたか否か極めて疑問である。むしろ、被控訴人荒木が、クラクションを吹鳴して警告を与えたにも拘らず、その直後控訴人秋子が何ら後方を確認することなく時速四〇キロメートル(制動距離一五メートル以上)で走行中の同被控訴人の車両の前方である道路中央に出てきたこと、客観的に見て控訴人秋子にとつてその進路上の駐車車両を避けるためにこれ程急激な進路変更をすることは必要でなく、従つて被控訴人荒木にとつては意外な行動であつたこと等を考慮すれば、被控訴人荒木において本件事故を回避することは、不可能事であつたといわなければならない。仮に、百歩譲つて同被控訴人に何らかの過失ありとしても、その過失割合は、控訴人秋子の六〇パーセントに対し被控訴人荒木四〇パーセントにすぎないものというべきである。

三、看護費用について

看護費用の請求は将来の給付の訴の性質を有するものであるから定期金賠償方式によつて処理せらるべきものである。万一、これを元本賠償方式によつて処理するときは、看護費用なるものが、いわゆる実費たる積極損害に当るものであることから、これを健康人の余命年数に相当する全期間にわたつて計算し支払うことによつて生ずる不公平、不合理性は、前述の逸失利益算出に際して生活費を控除しなかつた場合以上に極端になることは言をまたない。

四、原判決言渡後の任意弁済について

被控訴会社は、昭和四七年一二月二一日、原判決主文一、(一)、(イ)によつて、控訴人秋子に対し支払を命じられた二一八万九六一一円、同一、(二)によつて、控訴人秀男、同ひとみに対し支払いを命じられた各四五万円宛合計三〇八万九六一一円と、右各金員につき原判決記載の起算日から右支払のなされた日の前日までの遅延損害金の合計二八万七二〇九円の総計三三七万六八二〇円を支払つた。なお、右金員の支払は、被控訴会社が保険契約上の指図に基づき、安田火災海上保険株式会社をして控訴人訴訟代理人の預金口座に振込ませてこれをなしたものである。

(証拠関係)〈略〉

理由

一本件交通事故の発生、事故の原因、責任の帰属、控訴人秋子と被控訴人荒木との過失割合については、当裁判所も、原審と同様に認定判断するから、原判決理由第一ないし第三項(原判決三枚目裏六行目から七枚目裏八行目まで。)の記載を、ここに引用する。右認定を動かすに足る新らたな証拠はなく、被控訴人荒木の過失が多くとも六〇パーセントに過ぎないとする被控訴人らの主張は採用できない。また、控訴人らは、控訴人秋子には、注意義務違反がないと主張するが、自転車(軽車両)を含めて車両は、進路を変更した場合にその変更した後の進路と同一の進路を後方から進行してくる車両等の速度又は方向を急に変更させることとなるおそれのあるときは、進路を変更してはならない(道路交通法二六条の二、二項)のであつて、従つて進路を変更するには、当然まず後方を確認する注意義務がある。前認定の事実によれば控訴人秋子がこの義務を怠つたことは明らかであり同控訴人に何らの過失がないということはできないから右主張も採用できない。

二そこで、本件事故による損害について審究する。

〈証拠〉を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

控訴人秋子は、本件事故による傷害のため、事故当日の昭和四三年四月一三日から昭和四四年五月九日まで名古屋市南区の中京病院に入院し、同月一〇日から昭和四五年三月八日まで岐阜県立下呂温泉病院に入院し、その後は退院して自宅で療養を続けているが、昭和四六年三月中旬にいたるも、独力で立上つたり、走行することはできず、車椅子を利用しなければ、移動することができない。車椅子は自分の手で動かせるが、独力で乗り降りすることは不可能である。食事は左手でようやくスプーンが持てる程度で介添えを必要とし、衣服の着脱、排便も一人ではできない。また、昭和四五年三月八日には前記下呂温泉病院で、両下肢の機能全廃、右上肢の機能全廃等の事由により、後遺症、労災級別一級九号に該当する旨の診断を受けており、今後これが回復する見込はない。

控訴人秋子は、夫である控訴人秀男、娘である控訴人ひとみ、訴外養父則武梅吉らと自宅で生活し主として控訴人ひとみおよび右梅吉の介護を受けている。控訴人秀男は、控訴人秋子のため居宅を改修し、全室の床を板張りとし、敷居等による高低差をなくし、新らたに洋式便所を設置し、浴室を改造し、リハビリテーションの訓練室を新設した。そして、一日三回家族がマッサージをして四肢の固定を防ぎ、その結果、症状は退院時と変りがなく医師の診療も受けていない。

以上のように認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

三控訴人秋子が、治療費として二一六万九二八九円を支出したところ、被控訴人らにおいて右金額を同控訴人らに弁済したことは、当事者間に争いがない。右金額について前記認定の割合による過失相殺をすれば、被控訴人らが負担すべきものは、一七三万五四三一円となる。

四次に、逸失利益の点について審究するに、前掲各証拠によれば次の事実が認められる。

控訴人秋子は、本件事故当時四三才(大正一五年一一月一日生)で、名古屋市の国民健康保険推進員として勤務し、年額五三万一三六九円の給与(通勤手当、交通実費、被服手当を控除した純収入)を得ていた。

控訴人秋子は、本件事故が公務上の傷病によるものと認定されたため、事故発生後の休業中も休業報酬を支給された。その額は昭和四三年四月分から昭和四六年四月分まで合計二〇三万二六六〇円、そのうち昭和四五年五月分から昭和四六年四月分までの一年間の合計額は七四万九三七二円であり、前記後遺症のため、昭和四六年四月三〇日、離職するにいたつた。

控訴人秋子は、旧制高女卒の学歴を有し昭和二四年に控訴人秀男と結婚し、昭和三六年から前記健康保険の推進員をしており、本件事故当時、健康であつた。右推進員は土・日曜日以外の日に勤務し、月間一一〇〇戸ないし一二〇〇戸を集金のため訪問することを主な職務とし、婦人の勤務者も多く、勤務時間には格別の拘束がなく、一日一回午後三時までに勤務先に出勤すればよいというものであり、就業規則によると定年は六〇才で、働くことの好きな控訴人秋子は右定年まで勤務するつもりでいた。以上のように認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によれば、本件事故がなかつたとすれば、控訴人秋子は、前記離職の日の翌日である昭和四六年五月一日から同人が六〇才に達するまで少くとも一四年間(本件事故の時における同控訴人の平均余命が三四年であつて七〇才まで生存可能であることは当裁判所に顕著である。)は、年間七四万九三七二円の給与収入を、得べかりしものと推認することができる。

従つて、控訴人秋子の逸失利益はホフマン式計算方法によりその現価を算出すると、七八〇万〇二一三円となり、前記認定の割合による過失相殺をすれば、被控訴人らが負担すべきものは六二四万〇一七〇円となる。

計算式 749,372円×10.409×0.8=6,240,170円

(円位未満四捨五入)

被控訴人らは、本件のように被害者が重篤な病状である場合には、生存可能年数を確定できないから、被害者を死亡したものとみなして算出した逸失利益の額を一時金として支払つたうえ、別途に生存期間中(但し、就業可能期間中に限る。)生活費相当額を毎月支払うという方式によるべきであると主張する。

しかし、前記認定の事実関係によれば、控訴人秋子は本件交通事故により二年間の入院生活を余儀なくされたものではあるが、退院後は自宅において肉親の温かい看護を受け、両脚右手が動かず車椅子で移動するという不自由な身体になつてしまい回復の見込がないというものの、医師の診療を受けることもなく元気に日を送り事故後既に六年余を経ているのであるから、同人の余命についてはいわゆる平均余命表によつてこれを推定するのが相当である。もつとも原審証人日比野光男の証言によれば、控訴人秋子は、疾病に対する抵抗力が健康人にくらべて劣つていることが認められるが、これのみによつて、同控訴人の余命を平均余命表によつて推定することが相当でないということはできない。〈証拠〉によれば、交通事故の被害者について裁判所がその余命年数の確定を不可能なりとし、あるいは、平均余命表によるよりも遙かに短かい余命を想定した事例があることが認められるけれども、一方右書証によれば、右各事案にあらわれた被害者の症状は控訴人秋子の場合よりも遙かに重篤なものであつたことが窺われるから、右各書証によつて前記判断を動かすに足るものとはなしがたい。してみると、被控訴人らの主張はその前提を欠くものであるのみならず、他に本件逸失利益につき右主張のような支払方法をとらなければならない事由も存在しないから、右主張は採用することができない(なお、定期金賠償方式の可否については後述する。)。

五次に、付添費用の点について考えるに、前記認定の事実関係によれば控訴人秋子は、本件事故後片手、両脚の機能を失い、独力では移動することもできない廃人同様の身体になり、今後回復の見込がないのであるから、入院中はもとより退院後も生涯を終えるまで、常時少くとも一名の付添看護婦を必要とし、その費用を支出せざるをえないものというべきである。しかして、厚生省昭和四二年平均余命表によれば、控訴人秋子と同年齢の女子の平均余命は三四年であり、付添看護婦の報酬が少くとも一日当り一五〇〇円年間合計五四万七五〇〇円であることは当裁判所に顕著な事実であるから、これらの資料を用いてホフマン式計算方法により右付添費用の現価を算出すれば一〇七〇万五二六七円となる。しかして、前記認定の割合によつて過失相殺をすれば、被控訴人らの負担すべきものは八五六万四二一四円となる。

計算式 547,500円×19.553×0.8=8,564,214円

被控訴人らは、右付添看護費用について、控訴人秋子の生存中、定期的(毎月)に支払をなすいわゆる定期金賠償方式によるべきであると主張する。

しかしながら、控訴人秋子は本訴において右付添費用の総額を一時に支払うことを被控訴人らに命ずる裁判を求める旨申立てているのであつて、右申立はもとよりこれを認容して不可なる所以を見ない。しかして、裁判所は右のように付添費用の総額の一時支払の申立がなされているにかかわらず、被控訴人らのいわゆる定期金支払の方法をもつてこれに答えることは許されないものというべきである。けだし、賠償金のいわゆる元本賠償(一時金)支払方式においては、全損害がすでに発生したるものとして観念されているに対し、定期金支払方式における支分定期金債権は履行期到来の都度発生すべき将来の債権であつて債権の性質についての発想の根本を異にするから両者は別個の申立であるというべきであるのみならず、わが国の現行法は、定期金賠償方式を否定する法条こそ有しないものの、他面これを肯認する明文もなく、ことに定期金支払方式によつた場合に当然考慮に入れるべき債務者からの担保の供与、変更判決等の諸制度については遂に緘黙して語るところがなく定期金債権者に著しく不利であるから、一時金支払の申立をなしている賠償債権者は特段の事情の認められない限り定期金支払の申立の意思を有しないと認めるのが相当だからである。法律論を別としても、現時のごときインフレーションの進行する経済状勢の下においては、たとえ判決の時点においていずれの方式により認容された給付も経済的価値において同一だとするも、日時の経過とともに定期金債権者の蒙る不利益は思い半ばにすぐるものがあり、賠償債権者自身からの定期金支払方式による請求が存する場合は格別、一時払を求めている債権者に対し定期金方式による判決を与えることは裁判所としてにわかにこれをなすべきではないと考える。被控訴人らの右主張は採用できない。

六進んで、慰藉料について判断する。

〈証拠〉によれば、控訴人秀男は控訴人秋子の夫で四四才(昭和四六年当時)であり旧制中学卒業後名古屋市に勤務する地方公務員で同年中における本俸約七万円であつたこと、控訴人ひとみは控訴人秀男、同秋子の一人娘であること、右控訴人両名は控訴人秋子が本件事故に遭遇した後その入院中はもとより退院後も困難な看護介添に努力しており、ことに控訴人ひとみはそのため大学進学の希望さえも断ち切らなければならなかつたこと等の事実を認めることができる。右認定事実に上来認定し来つた諸般の事情を参酌するときは、控訴人秋子に対する慰藉料としては二五〇万円が相当であると考えられる。控訴人秀男は、その生涯の半ばにおいて本件事故により妻が廃人となり、将来のなお永い年月妻と共に人生を楽しむことはおろか、普通一般の世話さえも受けられず、妻のリハビリテーション、介護などに明け暮れているわけであるから、控訴人秋子が死亡したと同様の精神的苦痛を蒙つているものというべく、その慰藉料は四〇万円をもつて相当とする。また、控訴人ひとみは、本件事故の結果大学への進学も断念し、青春の日々を母の看護に没頭しているものであり、将来他に嫁するについても実母の世話を受けることのできない寂しさと不利益は察するに余りがある。また、他家の人となつた後も控訴人秋子の存在は大きな精神的負担となつて残るであろうから、控訴人ひとみにとつても、その精神的苦痛は控訴人秋子の死亡したときに比肩すべき深刻なものであるというべきである。その慰藉料は前同様四〇万円をもつて相当とする。

七以上の次第であつて、控訴人秋子の治療費、逸失利益、付添看護費用および慰藉料の合計は一九〇三万九八一五円となるところ、これに対し被控訴人らにおいて治療費、付添看護費等名下に支払をなし、また自賠責保険からの給付があつてその合計が六二六万一六五五円となることは当事者間に争いがないから、損益相殺としてこれを前記賠償金から控除すると残額は一二七七万八一六〇円となる。

被控訴人らは、控訴人秋子の休業報酬二〇三万二六六〇円(その支給のあつたこと当事者間に争いない。)も損益相殺の対象となすべきであると主張するが、当裁判所も原審と同じく右主張は失当と判断する。その理由は原判決一四枚目裏三行目から同一五枚目表末行までに説示してあるとおりであるから右記載をここに引用する。

八控訴人らが、本訴の追行を弁護士祖父江英之に委任し、名古屋弁護士会報酬規定の定める最低料金による報酬を支払うことを約したことは成立に争いない甲第一三号証によりこれを認めることができるところ、本件訴訟の内容、経過、訴訟の難易、認容額その他諸般の事情を勘案すれば、弁護士報酬として被控訴人らに負担せしむべきものは控訴人秋子につき一〇〇万円、その余の控訴人らにつき各五万円と認めるのが相当である。

九ところで、被控訴人らが、昭和四七年一二月二一日、原判決が主文一、(一)、(イ)において控訴人秋子に対し支払を命じた二一八万九六一一円、同一、(二)において、控訴人秀男、同ひとみに対し支払を命じた各四五万円、合計三〇八万九六一一円並びに右各金員に対して原判決が支払を命じている各遅延損害金につきその所定の起算日から同年同月二〇日までの分二八万七二〇九円以上合計三三七万六八二〇円を任意支払つたことは、当事者間に争がない。

そこで、右任意弁済金を本件損害金に充当すると、被控訴人らは各自、控訴人秋子に対し前記七で認定した一二七七万八一六〇円および弁護士費用一〇〇万円並びにこれらに対する遅延損害金(前者につき訴状送達の日の翌日である昭和四五年九月六日から、後者につき第一、二審判決言渡の日の翌日から年五分の民事法定利率による。)からそれぞれ前記弁済額を控除した残額である一一〇八万八五四九円およびこれに対する昭和四五年九月六日から完済まで年五分の割合による損害金並びに五〇万円およびこれに対する本判決言渡の日の翌日から完済まで前同率による損害金の支払をなす義務がある。

しかしながら、控訴人秀男、同ひとみについては、原判決後なされた前記の任意弁済によつて、その損害賠償請求権はいずれも消滅し、その請求は、理由なきに帰したといわなければならない。

以上説示のとおりであつて、控訴人秋子の本訴請求は、前記認定の範囲において正当としてこれを認容すべく、同控訴人のその余の請求および控訴人秋男、同ひとみの請求はいずれも理由がないから棄却を免れない。

そこで、控訴人秋子の本件控訴に基づき原判決中、控訴人秋子に関する部分を変更し、被控訴人らの付帯控訴に基づいて、原判決中、控訴人秀男、同ひとみに関する分部を取り消し、控訴人秀男、同ひとみの控訴ならびに被控訴人らの控訴人秋子に対する付帯控訴をいずれも棄却することとする。よつて、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について、同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(宮本聖司 吉川清 川端浩)

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